前記事" 安積開拓に懸けた先人たちの夢 "と被る部分もあるんですが
安積開拓をもうちょっと詳しく紹介してみようかと
安積疎水もちょっと出てきますが、安積疎水は別途詳しく
800px-KoriyamaCity
明治初期、戊辰戦争に敗れ賊軍の汚名をこうむった東北地方は
" 白河から北は一山百文★の価値しかない "とさげすまれていました

明治新政府が東北地方の開発を直接国の費用で実施するように
なるのは明治10年ごろからで、その第1号としてこの
" 安積の大地 "が選ばれました

これが世にいう" 安積開拓 "です

水の便が悪かったこの地で、大規模な開拓を行うために
猪苗代湖の水を安積の大地に引いた国営による安積疎水の
開削事業が行われました

安積疎水の開削が国営で行われることが約束されると
9藩( 久留米・鳥取・岡山・松山・土佐・米沢・二本松・会津・棚倉 )の
士族など、全国各地から約500戸・2,000人あまりの
人々が安積郡の諸原野に移住し、この原野を切り開きました

そして、これらの事業により現在の郡山発展( 安積郡全域 )の
基盤が築かれることになりました
5_102_Rkaiseikan_1
写真左:安積開拓当時の開拓地の様子
                         ( 奥の建物が開拓の中心となった開誠館 )
写真右:安積開拓の歴史を今に伝える現在の開成館

HOME