福島県郡山市の開拓を紹介しますが、位置関係を少々
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福島県郡山市" "のところですが以前は" 安積の大地 "と呼ばれて
いたんですが、荒れ放題の大地を開墾したのが" 安積開拓 "になります
もう一つは、郡山市の左隣にある猪苗代湖" "から郡山市に
水を引くという難関事業" 安積疎水開削 "をご紹介しています

❄ 安積開拓の始まり ❄
大槻原開拓には、明治5年安場 保和(やすばやすかず)が県令
(現・知事相当職)として福島県に赴任した時から始まります

前年、安場 保和は大倉 具視・大久保 利通・木戸 孝允・伊藤 博文らと
アメリカに渡り広大な開拓を目の当たりにしました
それを見た安場 保和は県の典事(課長職)の中条 正恒を任命し
安積開拓のすべてを任せます

北海道開拓を夢見ていた中条 正恒は、なしえなかった北海道開拓に
描いていた夢を大槻原におきかえて、この開拓に情熱を注ぎ込みました

まず中条 正恒は安場 保和とともに旧二本松藩士族に
移住を勧めました
そしてこれに応じた二本松士族が大槻原の一角に移住したところから
壮大な開拓事業の第一歩が踏み出されました

しかし、二本松士族の移住や農民の呼びかけだけでは、目的を
達成できず中条 正恒らは民間参加による開拓も同時に進めます
それは江戸時代後期から宿場町と栄えていた郡山宿の富裕商人の
出資による開拓会社を組織し、多くの移住者を募集するものでした

安場 保和・中条 正恒が理想を高く掲げて開拓に尽力しても
商人には「 商売以外手を出すな 」という家訓があり
開拓に乗り気ではありませんでした

それでも中条 正恒は
" 明富豪ナリト雖モ邑ノ為国ノ為尽スナクンバ守銭奴ノ侮辱免ルベカラズ "
(名富豪なりと云えども村のため、国のために尽くさないとケチの侮辱は免れない)
と国づくりや町づくりは、今日の日本に必要なことであり
将来は必ず報われると根気強く説き続けました

そして明治6年、中条 正恒の情熱に心を動かされた
阿部 茂兵衛ら25人の富商が" 開成社 "を結成し
福島県と開成社の共同による" 安積開拓 "が始まりました

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安積開拓を決定した" 安場 保和 "
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安積開拓に情熱を注いだ" 中条 正恒 "
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開成社社員 25名
( 前列右から5人目が" 阿部 茂兵衛 " )

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