福島県郡山市の安積開拓を記事にしていきます
いっぺんに、ご紹介することは無理なので
何回かに分けてご紹介していきます

福島県郡山市、echoesの生まれ育った街で現在も住んでいます
今では、大きな発展をし福島県でも代表的な街になっていますが
その発展の基になったのがこの" 安積開拓 "です
この" 安積開拓 "がなかったら、近代化はを遅れ取って
今のような発展には繋がらなかったといっても過言ではないです
そんな" 安積開拓 "がどのようにして行われたかご紹介していきます
無題
郡山市市街地

❆ 先人たちが遺してくれたもの ❆
< 一尺を開けば一尺の仕合わせあり 一寸を懇すれば一寸の幸あり >
明治初期に撮影された一枚の写真
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写真の中で凛とした姿で開成沼(現・開成山陸上競技場、開成山野球場)の
畔にたたずむ一人の男性

この先人は、このとき何を想いそしてどんな未来を
夢見ていたのでしょう

平成19年で安積開拓が国営事業となり、第1陣として
旧久留米藩士族が入植して130年になります

先人たちが遺してくれたこの大地
先人たちの偉業に思いを駆せる

< 郡山の発展の礎となった安積開拓 >
明治初期、戊辰戦争に敗れ賊軍の汚名を被った東北地方は
「 白河以北一山百文 」とさげすまれました
明治政府が東北地方の開発を直接国費で実施しるようになるのは
明治10年ごろからで、その第1号としてこの" 安積の大地 "が選ばれました

これが世にいう" 安積開拓 "です

この事業が郡山の発展の" 礎 "が築かれたのです
この政府による施策が決まる前から地元では福島県と開成社による
大槻原(現・開誠館周辺地区)の開拓が進められました

第1回目は、このくらいで
次回は、開拓に始まりをご紹介します
また、後に出てくる" 安積疏水 "が大きなポイントになってきます
そして、この" 安積疎水開削 "が今年日本遺産に指定されました

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