福祉目検の歴史を載せて4回目になりますが、今回は
❝ 豊臣政権と徳川幕府時代 ❞になります
大詰めになってきました

豊臣秀吉による奥州仕置により伊達 政宗が伊達氏の元の
本領以外没収され、会津に蒲生 氏郷が入ります
翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達 政宗が岩出山に
移封されると、蒲生 氏郷が福島県中通り以西のほとんどの
地域と山形県の置賜地方を領有しました
なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして、領有を奪われた
岩出山の旧領主の木村 吉清は、後に許されて蒲生 氏郷に
仕えて杉目城主となります

木村 吉清は杉目を" 福島 "と改称し、今日の県名の由来になっています

関ヶ原の戦いによって上杉 勝景は信夫郡・伊達郡を除く
福島県域の所有を失い30万石になってしまいます

代わって会津には蒲生 秀行が再度入封し、会津藩60万石が
成立しますが2代目の蒲生 忠郷が早世し、伊予松山藩に移ることになります
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次に1627年に加藤 嘉明が40万石で
会津に入封しますが、これも2代目の
加藤 明成で会津騒動を起こして領地を
徳川幕府に返上しました

                                                   鶴ヶ城( 若松城 )
                                     
そして、1643年に松平氏・保科 正之が23万石で入封し
この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くこととなります

一方、信夫郡と伊達郡を1664年に上杉氏米沢藩から
召し上げられ、会津藩以外の大藩はなくなり会津と
浜通りの夜ノ森以北( 相馬氏領 )を除く県内のほとんどの地で
江戸時代を通じて小・中藩、天領が入り乱れて激しく変遷しました

なおこの間白河藩は一時、徳川譜代となり寛政の改革を主導した
松平 定信など中央の名門家から城主が入り政治が行われていました

江戸時代に会津若松と日光街道を結んだ重要な交通路
" 会津西街道( 下野街道 ) "の宿場大内宿が当時の街並みのまま
重要伝統的建造物群保存地区として残され往時を偲ばせます
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宿場町大内宿
詳細は、別に載せるとしてここは、ネギで食べる蕎麦が
有名です( ネギ1本で食べます )
蕎麦を上手にすくって、やくみが欲しくなったら
ネギをかじる というスタイルです

ここ福島でも、一揆とかあったんですね
福島に居て知らないことだらけです( お恥ずかしい )
会津藩主・保科 正之がポイントとなる人物です
日本遺産になった" 会津三十三観音 "に絡んでいます
会津三十三観音も別に載せたいと思っています

次回で福島県の歴史は終了となります
次回は、ちょっと長くなるかと思いますか
興味のある方は、乞うご期待

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