Fukushima Circulation

~ 福島県を巡って ~

2017年07月

相馬の伝統 " 相馬野馬追 "

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相馬市の伝統、" 相馬野馬追 "が明日から開催します

δ 相馬野馬追 δ

福島県相馬市中村地区を初めとする浜通り北部
( 旧相馬氏領、藩政下では中村藩 )で行われる
" 相馬中村神社 " " 相馬太田神社 " " 相馬小高神社 "の
三つの妙見神社の祭礼です

馬を追う" 野馬懸 "、南相馬市原町区に所在する
" 雲雀ヶ原祭場地 "において行われる" 甲冑競馬 "と" 神旗争奪戦 "
街を騎馬武者が行進する" お行列 "などの神事からなります

東北地方の夏祭りの先駆けとみなされ" 東北六大祭り "の
一つとして紹介されるときもあります
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本来であれば7月23日から25日までの3日間の日程で神事と祭りが
一体となって開催されていたんですが、2011年からは祭りと
神事は分離されて、祭りを7月最終週の土曜日に開幕、神事を
24日・25日に日程を固定して実施することになりました

起源は、鎌倉開府前に相馬氏の遠祖である平 将門が、領内の
下総国相馬軍小金原(現・千葉県松戸市)に野生馬を放し
敵兵に見立てて軍事訓練をしたことに始まると云われてます
鎌倉幕府成立後は、このような軍事訓練は取締られたそうですが
この" 相馬野馬追 "は神事という名目でまかり通ったようです
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1868年の戊辰戦争で中村藩が明治政府に敗北して消滅すると
1872年に旧中村藩の野馬が全て狩り獲られてしまい、野馬追も
一時消滅したんだとか
しかーし、原町の相馬太田神社が中心となって野馬追祭りの
再興を図り、1878年には内務省の許可が得られて復活!
祭りのハイライトの甲冑競馬 および 神旗争奪戦は
戊辰戦争後の祭事となりました
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圧巻!

相馬氏は将門の伝統を継承し、捕らえた馬を神への捧げものとして
相馬氏の守護神である" 妙見大菩薩 "に奉納したそうです
これが現在の" 野馬懸 "に継承されています
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野馬懸

この祭りのときに流れる民謡" 相馬流れ山 "は、中村相馬氏の
祖である" 相馬重胤(そうましげたね)"が住んでいた
下総国葛飾郡流山郷(現・千葉県流山市)に因んでいるそうです

δ 開催地と三軍 δ
浜通り夜ノ森以北のうち、戦国時代から江戸時代にかけて
相馬氏・中村藩の領地に入っていた市町村で開催されます

各郷ごとに騎馬隊が編成され、さらにそれが神社ごとに
三軍に編成されます
中村城跡と相馬中村神社が所在する相馬中村地区で
編成される" 宇多郷勢 "の長は、中村藩主にならって
全三軍を率いる総大将になります
祭りのハイライトの甲冑競馬や神旗争奪戦は
南相馬市原町区の雲雀ヶ原( ひばりがはら )にある
相馬野馬追祭場地で開催されます
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甲冑競馬・・・いい顔してますねぇ
相馬野馬追(神旗争奪戦)
神旗争奪戦

妙見神社の神事ならびに君主の行列のため、上から見下ろすことは
いけないことだとされています
そのため、出陣式のときに通る中村第一小学校前の歩道橋は封鎖
付近の民家でも2階から見下ろすことは自粛するのが通常だそうで
徹底してますねぇ

今年の" 相馬野馬追 "の行事概要は
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こんな感じになっています
お時間のある方は、行かれてみては
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スゴクない・・・かい( とっても勇敢
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カワイイけど、カッコイイよ

では、この辺で

桧枝岐歌舞伎

" 桧枝岐の舞台 "
福島県南会津郡桧枝岐村にある農村舞台です
国の重要有形民俗文化財にも指定されています

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何事もないとこんな感じなんですが・・・

桧枝岐村字居平にある鎮守神の境内にあり、江戸時代に
建築された舞台なんですけど、明治26年(1893年)の村の
大火で焼失してしまい、現在の建物は明治30年代の再建

歌舞伎が行われると・・・一変
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どや!

舞台は奥会津に見られる" 曲谷造 "の民家と似ていて
ほかの地域の農村舞台とは異なっています

農村舞台の一典型をなすものとして、隣町の南会津の
" 大桃の舞台 "(いつか紹介)とともに昭和51年(1976年)
8月に国の重要有形民俗文化財に指定されました

指定されたのは、建造物の舞台のほか、観客席である
敷地も含まれています
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県内外から歌舞伎を観にお客さんがたくさん来ます

毎年5月12日、8月18日、9月第1土曜日に、村内の
" 千葉之屋花駒座 "によって演じられる農村歌舞伎は
" 桧枝岐歌舞伎 "として、平成11年(1999年)に
福島県の重要無形民俗文化財に指定されています
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カッコイイ!!

桧枝岐歌舞伎は江戸時代より親から子、子から孫に伝承
270年前に購入された" 浄瑠璃本 "が残っていることから
270年以上の歴史を持っているといわれています

いいですねぇ、このような" 文化 "はいつまでも
残してもらいたいものです・・・

では、この辺で

磐梯熱海温泉

磐梯熱海温泉は福島県郡山市にある温泉街です
( 旧国:陸奥国、明治以降は岩代国 )
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泉質:単純泉 単純硫黄水素泉
新潟県の" 月岡温泉 "、いわき市の " 湯本温泉 "とともに
" 磐越三美人湯 "に数えられています

郡山市の奥座敷として歓楽街温泉であったことから規模の大きい
ホテルも多いです
温泉街は磐越西線・磐梯熱海駅のすぐそばと、" 五百川 "に
沿って旅館が建ち並ぶところと二つに分かれてますが、非常に
近接しているので、通常は一つの温泉街として扱われています
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δ 磐梯熱海温泉近くの五百川 δ

五百川の渓谷沿いにある温泉街の方が比較的歴史が古く
現在も20数件の旅館が営業しています
源泉は五百川沿いに共同のものがあるほか、専用の源泉が
あるホテルや旅館も多いです

共同浴場は" 宝の湯 "と" 錦星湯 "の2軒が営業
足湯は磐梯熱海駅前と五百川沿いにあり、日没まで無料で
使用することができます また、各旅館が設置している足湯も
いくつかあって、無料で使用することができます
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δ 磐梯熱海駅前の足湯 δ

スポーツ施設が多いのも特徴で、温泉街の近くにはプールや
多目的アリーナを備えた" 郡山ユラックス熱海 "、ふくしま国体と
スポーツ祭東京2013の会場となった" 磐梯熱海アイスアリーナ "と
郡山スケート場の両スケート場、多目的グラウンドや体育館
熱海サッカー場などを備える" 磐梯熱海スポーツパーク "
" 郡山熱海カントリークラブ "など多くのスポーツ施設があります
なもんで磐梯熱海温泉旅館協同組合では" スポーツ温泉 "と
謳っているとのこと
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開湯は800年前であると伝えられています
" 熱海 "という地名は、奥州合戦の後にこの地の領主となった
源 頼朝の家臣・伊東祐長の出身地である伊豆にある
" 熱海温泉 "に由来します ↫ ツナガッタ

南北朝時代から室町時代初期の頃、公家の" 万里小路藤房 "の
娘" 荻姫 "が不治の病にかかり、夢枕に立った不動明王から
" 都から東北方面に行き500本目の河岸に霊泉がある "と
お告げを受け、これに従って磐梯熱海温泉に辿り着いた
荻姫は、湯治して全開したと伝えられています
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これに感謝して侍女雪枝が不動明王を祀ったのが不動滝近くに
ある" 大峯不動尊 "だと云われています
また、温泉街を流れる" 五百川 "はこの伝説が名称の由来

1918年に" 四季彩 一力 "が創業( 高級旅館でーす )
1970年全国植樹祭で昭和天皇が" 一力 "に宿泊
1995年、秋篠宮殿下が" 一力 "に宿泊
2015年、イギリス王室のウィリアム王子が来日し
" 一力 "で夕食会が催され宿泊

って、" 四季彩 一力 "スゴイなぁ
" ホテル 華の湯 "に押されてたかと思っていたが
さすが老舗旅館だけあるわ
因みに・・・泊まったことはありません
( 足湯の下に貼った写真が" 四季彩 一力 "だよーん )
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子供のころは、日帰り温泉で大変にお世話になりました
時が経つにつれて共同浴場などが少なくなりましたが
現在も福島を代表する" 温泉街 "であることは
間違いありません
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では、この辺で

会津鉄道30周年 & 郡山駅130周年

" 30周年 地域貢献誓う "

第三セクターの会津鉄道の開業30周年式典が7月16日
南会津町の田島駅前広場で行われたそうです
くす玉割りなどで節目を祝い、地域振興への貢献を誓ったそうで

会津地方の市町村や各種団体の代表ら約100人が出席
大石 直社長が
" これからも会津地域に欠かせない交通インフラとして鉄道を
基軸としたサービス業として30年後、50年後も愛されるよう
努力していきたい "とあいさつされたそうです

大石社長が協力企業や団体に感謝状を贈り、芦ノ牧温泉駅の
猫の名誉駅長" らぶ "にも贈呈されたとのこと
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二代目・名誉駅長" らぶ "

会津鉄道は旧国鉄から会津線を引き継ぎ、1987年7月16日に
営業を開始しました
会津若松市の" 西若松駅 "から南会津町の" 会津高原尾瀬口駅 "
までの21駅・57.4㎞を運行しています

その会津鉄道から見られる景色は・・・
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こんな感じ・・・キレイですねぇ
今年4月からは東武鉄道の特急" リバティ会津 "が東京・浅草駅から
会津田島駅まで乗り入れています

一方、echoesの地元" 郡山市 "の" JR郡山駅 "が7月15日
開業130周年のイベントを開催し、家族連れで賑わったんだとか
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" Nittobo "の看板・・・目立ってんなぁ(古くからある企業です
今でこそキレイになりましたが、echoesの小さい頃は…orz

1階のコンコースで行われた記念セレモニーでは五十嵐 浩駅長が
" 感謝の気持ちとおもてなしの精神で、安全な運行と上質な
サービスを提供する "と決意を述べたとのこと

職員4人がピアノやフルートで" キセキ " " 世界の車窓から "を
奏でたそうです・・・って、The鉄道ダナ

ミニSLの乗車や起床装置の体験コーナーも人気を集めたそうです
130周年を記念した台紙をを配布し、来場者が記念スタンプを
押していたそうです
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いい連休になったようですね・・・

では、この辺で

主役復活 " 薄磯海岸 "

今日は、嬉しい記事を発見!

" いわきの海 主役復活 "
" 薄磯 海開き 夏の観光 前進期待 "
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7月15日に7年ぶりに海開きをしたいわき市の" 薄磯海水浴場 "には
初日から多くの海水浴客や観光客が訪れ、東日本大震災と
東京電力福島第一原発事故発生前のような賑わいを見せたとのこと
福島県内最大規模の誘客を誇った薄磯海水浴場の再開を祝い
地元の高校生がフラダンスを披露
輝く波打ち際に響く歓声に観光関係者は" いわきの夏の観光復興が
さらに前進する "と期待をしているそうです

嬉しいですねぇ、何度か海水浴に行ってますし釣りにも行っていたので
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フラダンスを踊った地元の高校生、いい顔してる実に嬉しい

真夏の太陽が輝き、心地よい浜風が吹き抜ける薄磯海水浴場で
行われた" 海開き式 "
" 1日でも早く再開できるように整備してきた これからも賑わいの
創出、観光誘客に努め安心安全な海水浴場を提供したい "
いわき市・清水市長は関係者が見守る中であいさつしたそうです

サンシャインガイドの方が海開きを" 宣言 "すると多くの
家族連れや若者らが波打ち際に駆け寄り、水を掛け合ったり
いわき市のシンボル" 塩屋崎灯台 "が望める真っ白な砂浜で
夏の1日を楽しんだとのことです

" 毎年この海に来るのが楽しみだった "と家族連れの方は
慣れ親しんだ海を満喫し、泳ぎ疲れてジュースを飲む子供に
自信の幼少時代を重ね、目を細めていたとのこと・・・
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いわき市の薄磯海水浴場、四倉海水浴場、勿来海水浴場の
3か所は8月15日まで開放します
期間中は市が委託した監視員が各海水浴場に常駐し、海水浴客の
安全を守ります
今年から安全対策として各海水浴場にガードレスキューボード
などの救命用具の設置をしたそうです
いわき市は毎日2回、各海水浴場の空間放射線量を測定し
監視塔の掲示板に線量を表示するんだそうです
海開きの前の事前調査では3海水浴場の海水から放射性
セシウムは検出されなかったとのこと

・・・線量の表示要るかなぁ、要らない感じがするが
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δ 薄磯区長さんの声 δ
" 元の賑わいを戻す! "

" 震災直後の光景を思うと、浜に人が戻ってきたのが信じられない "
" 本当にうれしい "

ホントに、この一言に尽きると思います

薄磯区長さんは薄磯海水浴場で50年の歴史がある海の家
" 鈴亀 "を再開したそうです( 再開おめでとうございます!
" 海の家がないと夏の海って感じしないだろ "と・・・
区長さんは海の家のほかに同じ屋号の" 民宿 "を海水浴場の
近くで経営しているそうです

震災前、薄磯地区には3軒の民宿があったが震災の津波の
影響でほかの2軒は残念ながら廃業・・・区長さんの
民宿だけが残ったそうです
復興事業に関わる作業員の宿舎として提供されていたようですが
今年から本格的に観光客の受け入れを再開したそうです

ですが、今夏の宿泊客の予約状況は震災前の水準には
戻っていないとのこと( 月並みだが" これから "です

観光客が安全に海水浴を楽しめる環境づくりに貢献したい
との思いから薄磯海水浴場安全対策実行委員会の委員長を
引き受けたんだそうです
海開き式では観光復興にかける思いを語られたようで

" いわき市の観光の要は「 海 」 "
" 元の賑わいが復活するよう力を尽くしていきたい! "

携わっている方々・・・皆さんそうでしょうね
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これで、また一つ戻った
いつも嬉しいニュースばかりとは限らないが
元に戻るということは、素直にうれしい(嬉涙

まだ時間はかかるが、少しづつ" 復興 "は進んでいる

この記事見るとechoesに起こっていることなんて
なんてチッポケなんだろうと思ってしまう
しっかり前を見て・・・歩いて行こう!!
勇気づけられた" echoes "でした・・・ナンチャッテ

本日は、この辺で

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