無題2無題3
左:安積疎水完成時の" 安積疎水麓山の飛瀑 " 通称 麓山の滝
右:現在の麓山の滝( 国指定登録有形文化財 )

水利の良くない安積平野の開拓を成功させるためには
猪苗代湖の水を安積の地へ引く安積疎水の開削が
必要不可欠でした
しかし、明治11年5月、時の政府の実力者で安積疎水の最大の
理解者だった大久保利通が凶刃に倒れました
この朝、生前の大久保利通が最後に会っていたのが、当時の
福島県令の山吉盛典でした

大久保邸を訪れていた山吉盛典は、その会談で初めて
安積疎水が正式に実施されることを知り" 済世遺言 "という
大久保利通の会見記に、大久保利通の遺言として安積疎水の開削の
効用を記し、これを関係の閣僚に送りました

大久保利通の死後、一時政府の安積開拓事業への関心が
薄れましたが、中条正恒の熱意により次の内務卿・伊藤博文らに
引き継がれました
無題無題1
左:旧 戸の口十六橋水門( 明治13年に完成した当時の十六橋 )
右:新 戸の口十六橋水門( 大正3年に改築された現在の十六橋 )

政府は土木寮の長工師という技術者の最高位の職にあった
オランダ人のファン・ドールンに沼上峠のコースを検討させ
その調査結果に基づきルートを沼上峠コースト決定し
明治12年10月に開成山大神宮で起工式を行いました

疏水工事は延べ85万人、3カ年の歳月を費やし、明治15年8月に
完成しました
疏水の通水式は、同年10月1日に完成山大神宮広場で開催され
右大臣・岩倉具視、参議・松方正義、西郷従道・農商務卿などの
政府高官が参列しました

祝賀会は麓山公園で開かれ、宴会では洋食が出されました
園内には数百の球燈(ちょうちん)を揚げ、山車を備えて
歌舞伎が催され、花火200発が打ち上げられるなど、郡山村と
桑名村は、今だかつてない人出で賑わいました

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