Fukushima Circulation

~ 福島県を巡って ~

2016年11月

大槻原(開成山一帯)の開拓

知らない方は" 何この記事 "とお思いでしょうが福島県が
世界遺産に認定された安積開拓を記事にしています
興味のある方は是非見てってください
( 本当に知っている人は知っている記事です )

明治政府の開拓が決まる前、地元( 郡山市 )では
福島県と開成社による開成山一帯の開拓が進められ
これが後の" 国営安積開拓 "へとつながりました
言い換えると、福島県と開成社による大槻原開拓が
なければ、国営安積開拓は実現しなかったといえます
無題1
開拓当時の絵図
上:上ノ池( 現在の郡山市のシンボル" 開成山公園 " )
中:開成沼( 現・開成山球場と陸上競技場 )
下:下ノ池( 現・水道局(豊田浄水場)現存しています )

この大槻原開拓は明治5年、安場 保和が県令(現在の知事)
として福島県に赴任した時から始まります
安場 保和は、旧米沢藩士の中条 正恒を県の典事(課長職)に
任命し安積開拓のすべてを任せました

そして、士族授産を第一の目的にしたこの事業は
中条 正恒ら県官の努力のもと大槻原一角への
旧二本松藩士族の移住から始まりました
旧二本松藩士族が入植したのは、後の桑野村で
明治6年に移住した士族は19戸

当時は富田村や大槻村の古村に仮住まいしながら
開拓地へ通って開墾を行い、よく明治7年に南町の
開拓道路( 現在の安積高校通り )の両側に住宅が建てられ
そこへ移り住むようになりました
その後明治7年から明治13年までに9戸が入植し
全戸数8戸が開拓に従事しました
無題2
桑野村の入植図
❆ 現在の開誠館周辺の入植の様子 ❆

ここはちょっと詳しいので
中央部の五十鈴湖⇨開成山公園
縦に走る開拓道路⇨国道49号線
横に走る開拓道路⇨安校通り
" 文 "小学校⇨開成小学校
" 文 "⇨安積高等学校
" 卍 "⇨道因寺(echoesのお寺)
開成山大神宮:現在も一緒






他方、開成社は開墾地を耕作させるため、明治7年
桑野村北町に61戸の小作人家屋を建て
明治11年までにさらに41戸が増え全戸数が102戸となりました

かつて不毛の原野だった一帯は、次第に
その姿を変えていきました

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福島の方言(会津編)Part2

福島の方言( 会津弁 )の続編です
結構へこみながら記事にしているんですが
今回は、あまり気にしないで進めることにします

前回と同様で
:echoesが知っている方言
:echoesも使っている方言
はぁ~、ではいきますよ!!

なげる ⇨ 捨てる
なじょ ⇨ どう、いかが
なじょすんべ ⇨ どうしよう
七草 ⇨ ( こどもの )七五三
にしゃ ⇨ おまえ
にしゃら ⇨ おまえら
ねぎばな ⇨ 鼻水( 青い鼻水 )
のだばる ⇨ 伸びて寝転がる
のっかかる ⇨ よりかかる
のぼる ⇨ 踏んづける
はいらんしょ ⇨ ( 家に )あがってください
はかいぐ ⇨ はかどる、物事が進む、進展する
はっこ ⇨ 早くおいで
ばっこ ⇨ う〇こ
はっつける( つぉ ) ⇨ ひっぱたく( ぞ )
はらくっち ⇨ お腹いっぱい
ばんかた ⇨ 夕方
ばんげ ⇨ 夜
びっけ ⇨ ビリのこと
ひゃっけ ⇨ 冷たい
ぶすぐれる ⇨ ふくれっ面をする
ぶっつかる ⇨ こたつなどにはいる
ぺった ⇨ めんこ遊び
へでなし ⇨ いいかげんなこと
ほいど ⇨ 乞食
ほうほうね ⇨ 仕様がない、どうしようもない
ほだごど ⇨ そんなこと
ぼっこ ⇨ 余計なもの
ぼっこれ ⇨ 壊れている、使い物にならない
ほろぐ ⇨ ( 物を )なくす、落とす
まぁず ⇨ まったく( ちょっと怒っている様子 )
まがる ⇨ おじぎをする、頭を下げる
まぐる ⇨ 布をめくる( スカートまぐり )
まってぐ ⇨ いっしょに
まるぐ ⇨ 束ねる、まとめる
まんま ⇨ ごはん、食事
みっちら ⇨ みっちり、たっぷり、中身がいっぱい
むぐす ⇨ もらす( おしっこをむぐす )
むずせぇ ⇨ 気の毒、かわいそう
むる ⇨ 漏れる
むじる( むずる ) ⇨ ( 道を )まがる
めごい、めんごい、めんげえ ⇨ かわいい
めっこめし ⇨ 失敗して芯の残った硬いごはん
もっこ、もっこれ ⇨ ボロボロの、壊れかかった
もんずくる ⇨ 紙などしわくちゃにする
やっちゃがね ⇨ 役たたない
やっこい、やっけー ⇨ やわらかい
やってー ⇨ お願いします
やや ⇨ 赤ちゃん
やんだ ⇨ いやだ
やんだおらー ⇨ いやだ~どうしよう!、あらまーたいへん!
よがんべ ⇨ いいでしょう、OK
わさ ⇨ 悪いこと
んだ ⇨ そうだ
んだがら ⇨ そうなのよ
んだげっちょ ⇨ そうだけれど
んだべした ⇨ そうでしょう
んでね ⇨ そうではない
~してくんつぇ ⇨ ~してください
~しっせ ⇨ ~しなよ、~したら?
~してくなんしょ ⇨ ~してください
~だなし ⇨ ~ですね
~だべし ⇨ ~ですよね

どうでしたかぁ
echoesのすきな" はいらんしょ " " ~してくなんしょ "
" ~だなし "が登場しました
この方言好きなんですよね、なんか優しくて
あぁ、今回も多いなぁ・・・
" はらくっち "は全国区だと思ってたんですけどね

これで、福島県の中通り地方の方言と
会津地方の方言のご紹介が終わりました
もう一つあるんですよね" 地方が "・・・

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安積開拓~郡山発展の礎~

前記事" 安積開拓に懸けた先人たちの夢 "と被る部分もあるんですが
安積開拓をもうちょっと詳しく紹介してみようかと
安積疎水もちょっと出てきますが、安積疎水は別途詳しく
800px-KoriyamaCity
明治初期、戊辰戦争に敗れ賊軍の汚名をこうむった東北地方は
" 白河から北は一山百文★の価値しかない "とさげすまれていました

明治新政府が東北地方の開発を直接国の費用で実施するように
なるのは明治10年ごろからで、その第1号としてこの
" 安積の大地 "が選ばれました

これが世にいう" 安積開拓 "です

水の便が悪かったこの地で、大規模な開拓を行うために
猪苗代湖の水を安積の大地に引いた国営による安積疎水の
開削事業が行われました

安積疎水の開削が国営で行われることが約束されると
9藩( 久留米・鳥取・岡山・松山・土佐・米沢・二本松・会津・棚倉 )の
士族など、全国各地から約500戸・2,000人あまりの
人々が安積郡の諸原野に移住し、この原野を切り開きました

そして、これらの事業により現在の郡山発展( 安積郡全域 )の
基盤が築かれることになりました
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写真左:安積開拓当時の開拓地の様子
                         ( 奥の建物が開拓の中心となった開誠館 )
写真右:安積開拓の歴史を今に伝える現在の開成館

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桜刺し

会津名物" 桜刺し "
馬の肉を刺身にしたもので熊本県・長野県も有名ですが
会津では気軽な集まりに家でも食べる会津人にとっては
重要な郷土料理です

馬刺しはおろし生姜やおろしニンニクで食すのが
一般的になっていますが会津の桜刺しは違います
会津の桜刺しは赤身でにんにくがたっぷりと効いた
辛し味噌で食べるのが" 会津流 "です
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しっとり、ぷりぷりとした赤身のじんわりとした甘味が辛味噌の相性とピッタリ
また、日本酒にも白米にもとってもよく合います

古来より会津では女性にとって栄養価の高い食品として親しまれてきました
" ヘム鉄 "という吸収率の高い鉄分を含み、貧血気味の方に最適です
昔は妊婦さんのいる家のお土産として重宝されていたとのこと

もともとは、煮たり焼いたりする料理が主流だったようですが
( 現在でもモツ煮など、名残が食べられるお店もある )
力道山が巡業で会津を訪れた際、会津坂下のお肉屋さんで
生のまま辛味噌をつけて食べてから、刺身が広まったそうです

また、馬の肉と" 桜肉 "という所以については、昔は
獣の肉を食べるのは公には禁止されていました
そのため獣肉は" イノシシ⇨ボタン、シカ⇨もみじ "などの
隠語で呼ばれていました
馬刺しのおいしい時期が" 春 "ということで" 桜肉 "と
呼ばれるようになった説と、切った肉の色から
きているという説が一般的です

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