Fukushima Circulation

~ 福島県を巡って ~

2016年10月

福島の方言(会津編)

" 方言シリーズ "なぜか結構好評なんですよね
前回・前々回と主に福島県中通り地方の方言をご紹介したんですが
タイピングしているechoesはヘコんでいくばかり・・・
" お前はどんだけ訛ってんだぁ "と思い知らされました

それでもって今回は" 会津地方 "の方言をご紹介します
echoesは会津の方言がとっても好きです
:聞いたことのある方言
:echoesも使っている方言 でご紹介します
今回はタイピングしていてあまりヘコまずいけると思います( たぶん )

まずは" 会津弁 "とはから
会津弁:福島県会津地方で話される方言で" 東北方言( 南奥羽方言 ) "に属す
会津地方では故郷への帰属意識が強く、さらに追及すれば
会津若松市と奥会津(南会津地域)では帰属意識が異なります
会津若松市と奥会津では言葉の響きやニュアンスなどで
大きな違いが見られます
また、会津最南端の桧枝岐村では会津弁よりも西関東方言に
似た方言が離されています
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ほんじゃぁ、いってみっかい( それでは、いってみますか )
あいばっせ ⇨ 行きましょう
あいべ ⇨ 出かけるよ、行くよ
あがらんしょ ⇨ めしあがってください、中へお入りください
あねさ ⇨ 年上の女性への呼びかけ
あんちゃ ⇨ 子供への呼びかけ
あんつぁ(ま) ⇨ 目上の男性 (ま)を付けると成長した意味
あんべ ⇨ あんばい、具合
いぎあう ⇨ 出先で偶然(知り合い)に会う
いっちょめこぐ ⇨ 一人前のことを言う、生意気を言う
うぶう ⇨ 背負う、おんぶする
うっつぁし ⇨ うるさい
うすらかすら ⇨ たむろする、目的もなしにフラフラする
うなう ⇨ 田畑を耕す
うまぐね ⇨ よくない、まずい
うめる ⇨ 風呂に湯や水を足すこと
うらがいちゃ ⇨ 裏返し
うるかす ⇨ 水につけておく
おだれる ⇨ おれる
おっつめる ⇨ なぐるとか 「 おっつめっつぉ!」覚悟が必要
おっとばす ⇨ 突き飛ばす
おばんです ⇨ こんばんは
おめえ ⇨ あなた
おれ ⇨ 年配の方は男女問わず自分を" おれ "と呼ぶ
おら ⇨ 「 おれ 」よりも若い世代の男女が自分をこう呼ぶ
おもさも ⇨ 思う存分、充分に
おらほ ⇨ 私たちの地域・地区
おんずぐなし ⇨ 馬鹿者。意気地なし
おんずぐねぇ ⇨ ろくでもない
おんつぁ(げす) ⇨ バカ・アホ (げす)を付けると強化型
おんつぁま ⇨ 年配の男性、おじさん
おんつぁれる ⇨ おこられる
おんもしぇ ⇨ おもしろい
さがりもの ⇨ 当来もの(京都など上方から)
ざける ⇨ 雪が溶けてシャーベット状の様子
さすけね ⇨ 大丈夫だ、問題ない
さなぶり ⇨ 田植え休み(五月休み)
されがまね ⇨ かまわない、放っておく
したがら ⇨ だから
しっぱね ⇨ 撥ねのこと ズボンの後ろにつく撥ね
しゃで ⇨ 弟
しょーね ⇨ しょうがない
ずねぇ ⇨ 大きい
せな ⇨ 兄
ぞうさねぇ ⇨ 簡単だ、すぐできる
そべる ⇨ 甘える
たがく ⇨ (物を)持つ
たくさん ⇨ 充分、お腹いっぱい
だけんじょ・だけんじょも ⇨ だけれど
だっち(ぇ)も ⇨ 誰も
たまげた ⇨ 驚いた
たれる ⇨ 大小便をする
ちぃっと、つうと ⇨ 少し
ちゃんちゃんする ⇨ 正座する
つうはん(ちゅうはん) ⇨ 昼食
つっかけ ⇨ 履物転じて、入り口、手前の意味
でっこら ⇨ いっぱい、たくさん
でっちかる ⇨ 座る
とうみに、とうみぎ ⇨ とうもろこし
とっかす ⇨ (無理やり)取り上げる
とねこ ⇨ (生まれたばかりの)子牛、子馬
とぶ ⇨ 走る
とびくら ⇨ かけっこ、競争
どんぶく ⇨ 綿入れはんてん

今回はこの辺で!!
ん~" 福島弁 "よりは落ち込みは少ないですけど
青い★
たくさんありますねぇ~・・・
やっぱりヘコむなぁ・・・

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日本遺産 会津三十三観音巡り

今年、福島県が日本遺産に認定されたもう一つは
" 会津三十三観音めぐり~巡礼を通して観た往時の会津文化~ "も
今年認定されています

会津地方の17市町村が申請していたとのこと
磐梯山の信仰を取り込み、東北地方でも最も早く仏教文化が
花開いた" 仏都会津 "の魅力や風情を楽しめます

会津藩祖の保科正之公が定めた" 会津三十三観音めぐり "は
広く受け入れられ各地に三十三観音が作られました
平安初期から近世の仏像や国宝を蔵する寺院
山中に佇む石仏などが残り、当時の会津のおおらかな信仰と
娯楽が体験できます

" 会津三十三観音めぐり "構成文化財には寺院や仏像のほか
" 慧日寺( 磐梯町 ) " や" 大内宿( 下郷町 ) "
" 旧政宗寺三匝堂=通称 さざえ堂( 会津若松市 ) "
" 下野街道( しもつけかいどう ) "などの建造物や史跡も含まれています

構成文化財をサラッとご紹介します( 詳細は別記事で )

慧日寺跡( 国史跡 )-磐梯町
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平安時代初頭の大同2年(807年)、奈良の東大寺などで
学んだ法相宗の高僧・徳一が布教のため磐梯山の麓に開山しました
東西12㎞、南北に8㎞のわたる東国屈指の寺院で
会津仏教文化の発祥の地として栄えました
会津地方のほか、東北一円に影響を与えたとされています
昭和45年(1970年)に国史跡の指定を受け、平成20年に
中心伽藍部分の金堂、平成21年に中門を復元しました
平成28年から金堂に納める" 薬師如来坐像 "の
復元製作を含め平成31年完成を目指しています

大内宿( 国重要伝統的建造物群保存地区 )-下郷町
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若松城下から今市(栃木県)に至る" 下野街道 "の宿場
街道に沿ってかやぶき屋根の建物が並び、江戸時代の
宿場を今に伝えています
戦国大名の伊達政宗も滞在したという記録が残っています
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています

旧正宗寺三匝堂=さざえ堂( 国重文 )-会津若松
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正宗寺住職の郁堂が寛政8年(1796年)飯盛山に
建立した六角三層のお堂です
独特の二重螺旋スロープに沿って西国三十三観音が
安置され、お参りすることで三十三観音参りが
できるといわれていました
平成8年に国重要文化財に指定されています

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安積開拓に懸けた先人たちの夢 3

この「 安積開拓に懸けた先人たちの夢 」は
今回で終了にします

❆ 国を動かした地元の想い ❆
郡山に転機が訪れたのが明治9年
この年、明治天皇の東北巡幸に先んじ下検分のため時の
実力者であった内務卿の" 大久保利通 "が福島を訪れました
これを絶好の機会ととらえ中条 正恒は福島の大久保利通の
宿舎を訪ねます

ここで中条 正恒は県の事業として開拓が立派にできたこと
さらに安積野全域に開拓を拡大するために猪苗代湖の水を
この地域に引くことを国費でやってもらいたいと強く要望しました

もともと殖産興産と士族授産が持論の大久保利通と中条 正恒の
考えは一致し、この出会いが国営安積開拓と疎水開削のスタートとなりました

❆ 大久保利通の遺言と安積開拓 ❆
大久保利通の後ろ盾により明治11年3月、国営開拓第1号事業として
国で「 安積開拓 」の予算が計上されました

しかし2か月後の5月、大久保利通は暗殺により突如この世を去ります
この日の朝、生前の大久保利通が最後に会っていたのが
大久保邸を訪れていた当時の福島県令の山吉 盛典でした
この会談で山吉 盛典は安積開拓が正式に実施されるのを知り
それまでは安積開拓に乗り気でなかった山吉 盛典でしたが
この会見を記した「 済世遺言 」に大久保利通の遺言として
安積疎水開削の効用を記し、関係閣僚に送りました
大久保利通の死後、政府の安積開拓の関心は薄れていましたが
中条 正恒の熱意により次の内務卿・伊藤博文らに受継がれました

そして明治12年、オランダ人技術師ファン・ドールンの調査結果に基づき
安積疎水開削を最終的に意思決定したのです
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夢がかなわなかった" 大久保利通 "
p-014
オランダ人技術師" ファン・ドールン "

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福島弁(方言)Part2

福島方言第2弾です!!
これ打っていると、自分がみじめになってくるんですけど
めげずに打っていきます
★が付いているのはechoesが無意識に使っている方言です
では、いきますよ~

★ なげる ⇨ 捨てる ( ごみを投げる=ごみを捨てる )
★ なんぼ ⇨ いくら、どれくらい( 年齢、値段など )
なして ⇨ なんで、なぜ
★ なじょした ⇨ どうした、どんなだ
★ なじょする ⇨ どうする?
なじょにしっぺ ⇨ どうしたらよかろう
★ ~くいよ ⇨ ~してちょうだい
にしゃ ⇨ お前、あなた
★ ねーぞい ⇨ ~ないよ
★ ねっぱす ⇨ ねばる、くっつける
はぁー ⇨ さあ、もう
★ ~だばい ⇨ ~でしょう ( そうだばい=そうでしょう )
★ ばっち ⇨ 末っ子
はだいも ⇨ さといも
★ はなぐら ⇨ いびき
★ はねる ⇨ 走る
はねくら ⇨ 競走
はまる ⇨ 落ちる ( 川にはまった=川に落ちた )
★ ぶっつぁぐ ⇨ 破る
ぶつ ⇨ 撃つ
★ 部落 ⇨ 集落
べこ ⇨ 牛
★ へでなし ⇨ つまらないこと
★ ほだ ⇨ そうだ
★ ほろぐ ⇨ 落として失くす
めんこい・めんげえ ⇨ かわいい、かわいらしい
めど ⇨ 穴 ( 鼻めど=鼻の穴 ) ❆落とし穴や溝には使われない
もりする ⇨ 子守する
もごせ ⇨ むごたらしい、可哀想
★ よばっちゃ ⇨ 招待された
らいさま ⇨ 雷
★ ろぐなもんでねぇ ⇨ ろくな者じゃない
★ わがんね ⇨ わからない、ダメだ
わげ ⇨ 自分の家
★ んだ、ほだ ⇨ そうだ、そうですね
★ ほでね ⇨ そうではない
★ んだげど ⇨ そうだけど
★ んだべした ⇨ そうじゃないですか、そうでしょう
やべ ⇨ 行こう、行こうよ
たっちる ⇨ 垂れている
そうけ ⇨ そうなんだね
おぶる ⇨ おんぶ、背負う

おぉ・・・なんて★の数・・・
自分でもビックリ!!

ちなみに福島弁を使う有名人
西田敏行(俳優)・加藤 茶(コメディアン)・梅沢富美男(俳優)・なすび(タレント)
三瓶(タレント)・佐藤B作(俳優)・中畑 清(元野球選手)・渡部恒三(国会議員)

いかがでした" 福島弁 "
方言ってその地域の特色を出していますよね
改めてこのように並べてみると面白いもんです
機会があれば、会津地方の方言を載せたいと思っています
❆ また違った方言なので ❆
それにしてもechoesのテンションダダ下がり・・・

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安積開拓に懸けた先人たちの夢 2

福島県郡山市の開拓を紹介しますが、位置関係を少々
無題
福島県郡山市" "のところですが以前は" 安積の大地 "と呼ばれて
いたんですが、荒れ放題の大地を開墾したのが" 安積開拓 "になります
もう一つは、郡山市の左隣にある猪苗代湖" "から郡山市に
水を引くという難関事業" 安積疎水開削 "をご紹介しています

❄ 安積開拓の始まり ❄
大槻原開拓には、明治5年安場 保和(やすばやすかず)が県令
(現・知事相当職)として福島県に赴任した時から始まります

前年、安場 保和は大倉 具視・大久保 利通・木戸 孝允・伊藤 博文らと
アメリカに渡り広大な開拓を目の当たりにしました
それを見た安場 保和は県の典事(課長職)の中条 正恒を任命し
安積開拓のすべてを任せます

北海道開拓を夢見ていた中条 正恒は、なしえなかった北海道開拓に
描いていた夢を大槻原におきかえて、この開拓に情熱を注ぎ込みました

まず中条 正恒は安場 保和とともに旧二本松藩士族に
移住を勧めました
そしてこれに応じた二本松士族が大槻原の一角に移住したところから
壮大な開拓事業の第一歩が踏み出されました

しかし、二本松士族の移住や農民の呼びかけだけでは、目的を
達成できず中条 正恒らは民間参加による開拓も同時に進めます
それは江戸時代後期から宿場町と栄えていた郡山宿の富裕商人の
出資による開拓会社を組織し、多くの移住者を募集するものでした

安場 保和・中条 正恒が理想を高く掲げて開拓に尽力しても
商人には「 商売以外手を出すな 」という家訓があり
開拓に乗り気ではありませんでした

それでも中条 正恒は
" 明富豪ナリト雖モ邑ノ為国ノ為尽スナクンバ守銭奴ノ侮辱免ルベカラズ "
(名富豪なりと云えども村のため、国のために尽くさないとケチの侮辱は免れない)
と国づくりや町づくりは、今日の日本に必要なことであり
将来は必ず報われると根気強く説き続けました

そして明治6年、中条 正恒の情熱に心を動かされた
阿部 茂兵衛ら25人の富商が" 開成社 "を結成し
福島県と開成社の共同による" 安積開拓 "が始まりました

2_212
安積開拓を決定した" 安場 保和 "
3_152
安積開拓に情熱を注いだ" 中条 正恒 "
無題
開成社社員 25名
( 前列右から5人目が" 阿部 茂兵衛 " )

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