Fukushima Circulation

~ 福島県を巡って ~

2016年09月

喜多方ラーメンバーガー

喜多方市のご当地バーガーを紹介します。
日本三大ラーメンの一つ" 喜多方ラーメン "は別の機会で

2008年( 平成20年 )に喜多方ラーメンに次ぐ新しいご当地グルメとして
「 道の駅 喜多の里 」の料理長・長谷川 義紀さんが店員さんとともに
開発したのが" 喜多方ラーメンバーガー "です
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喜多方ラーメンの面を円盤状に焼き固めてバンズ代わりとし
豚の角煮、あるいは地鶏、メンマ、ナルトなどの具を挟み
しょうゆ味のラーメンスープにとろみをつけたソースで味付けをしています
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麺は喜多方産のブランド小麦「 ゆきちから 」でつくり、茹でてからバーガー状に
加工して地元のエゴマ油で焼きます、スープは会津地方の地鶏のガラで出汁を
取り、チャーシューに変わる" 角煮 "は県内産のブランド「 麓山高原豚 」を
3時間煮込んで作る、など地元産品を生かした手間のかかった商品です

発売当初は1日20から30食の限定で販売していたそうですが
連日完売する人気ぶりで、新聞やテレビ番組にも取り上げられました

2009年の5月の連休には200個を30分弱で完売
1日300個が完売したそうです

現在も、休日には1日100個が買われており、客層が
お年寄りから若者にも広がるなど、" 道の駅 ”の
代名詞となるグルメになっています

電子レンジを使って調理できる冷凍タイプの
" 喜多方ラーメンバーガーキット "をインターネットを
用いた通信販売で購入することが可能となっています

この" 喜多方ラーメンバーガー "の当時の報道は確かに凄かったです
おじいちゃん・おばあちゃんがパクついているのを見ていて
お年寄りも食べるんだぁ・・・と感心していました

まだ、食べたことはないんですが冷凍物があるなら
ちょっと挑戦したいバーガーです

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福島県 福島市

福島県の各地域を紹介していきます
初回は、県庁所在地" 福島市 "からです
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福島市旗
市の木:ケヤキ
市の花:桃
市の鳥:シジュウカラ

福島市は、福島県中通りの北部に位置する都市です
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福島県の県庁所在地で、福島県を代表する行政都市になっています
江戸時代以前より福島城( 杉妻城・大仏城 )の城下町として街並みを
形成しはじめ、江戸時代の城下町" 福島 "は蚕種・生糸・織物の
集散地として栄え、福島県内では会津藩に次ぐ石高を有した商業の街でした
現在も県政の中心として福島城総構えの場所に県庁が所在しています

観光の面では" 山 "の名所が点在し、個性のある温泉街を複数抱えており
さらに、東北地方唯一の" JRA福島競馬場 "が立地し競馬の街でもあります
日本一のわらじを担ぐ祭り" 信夫三山暁まいり( わらじまつり) "も有名

山の名所は、国立公園に指定されている" 浄土平 "から福島のシンボル
" 吾妻小富士 "のお鉢巡り、市街地からほど近くで福島盆地を見渡せる
" 信夫山 "、花見の名所でもあり「 福島に桃源郷あり 」とも唄われる
花見山公園があげられます

福島市内の代表提な温泉は、2世紀ごろから歴史を有する古湯である
" 飯坂温泉 "、全国有数の高濃度硫黄で知られる" 高湯温泉 "
「 こけし 」発祥地と有名な" 土湯温泉 "などが知られています

福島市は、福島県内で最も標高が低い位置にあります
かつて、扇状地は桑畑として利用されていましたが、現在では
果樹園に転用されています
全国有数の収穫量を誇る" モモ " " 梨 "など果樹の栽培が盛んなことから
" 果樹王国 "の異名も持っています

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福島県の歴史 5

「 福島の歴史 」今回が最終回です
福島県の成立まで一気に行きますので長くなります
ゴメンナサイ

❝ 幕末から福島県成立まで ❞
諸外国の接近によって幕府の政治が停滞
その中で尊王攘夷や開国といった主導で" 日本 "を立て直そうとする
各藩の武士たちが京都に押し寄せました

白河藩主・阿部 正外は江戸老中として諸外国の折衝にあたり
神戸港を開港したことで攘夷派の公家などから反感を買い
老中を罷免され、白河藩は棚倉藩へと移封され藩主不在と
なったにも関わらず、東西両軍にとって要衝の地と目された白河は
戊辰の一大決戦地となる悲劇を生むことになりました
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当時の会津藩主・松平 容保は京都守護職
となり京都の治安を担っていました
そして禁門の変では、孝明天皇を奪取しようと
した長州藩勢から御所を守り抜きました
しかし、新たに政治を担いたいと、幕府を
廃しようと目論む薩長同盟との衝突が
大政奉還後の" 鳥羽・伏見の戦い "から生じ
朝廷側を血守したのにも関わらず朝敵に
落とされてしまい、相争うが徳川幕府側は

幾度も敗北を重ねた結果、戦場が東北まで伸びてきてしまいました


圧倒的な西洋戦法を有する薩長の軍勢に、会津藩氏はもとより
奥州越列藩同盟の磐城平藩や中村藩などでも、各藩の努力や
民衆は徹底して反撃を繰り返しましたが、降伏しました

江戸時代幕末に置かれた藩および城郭、交代寄合陣屋としては
会津藩、支城の猪苗代城、二本松藩、棚倉藩、中村藩、三春藩
磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩、水戸藩支藩の
守山藩、幕末に徳川幕府直轄地となった白河城、仙台藩の支城
谷地小屋城などがあり、交代寄合の溝口家の横田陣屋
そのほかにも代官陣屋もありました

明治初期、版籍奉還後の1869年(明治2年)の大政官令により
陸奥国南端である現在の福島県域は陸奥国から分離し
西側が" 岩代国 "、東側が" 磐城国 "となりました
" 岩代国 "は現在の福島県の" 中通り地方 "の中北部と" 会津地方 "
" 磐城国 "は現在の福島県" 中通り地方 "南部と" 浜通り地方 "
宮城県南部( 亘理郡、伊具郡、刈田郡 )にほぼ相当します

1869年(明治2年)7月20日、福島藩が重原藩に移封され幕府領と
なっていた伊達郡、信夫郡を管轄するために福島県(第1次)が
設置され、安達郡の二本松藩領37村、伊達郡の幕僚府42村
盛岡藩8村、棚倉藩領2村

信夫郡の幕僚府43村、重原藩領19村、足守藩領11村、新発田藩領8村
関宿藩領6村、棚倉藩領2村、二本松藩領4村
宇多軍の幕府領を1村管轄した
この1次" 福島県 "は後述の" 二本松県 "に統合されて
わずか2年で廃止となります

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