Fukushima Circulation

~ 福島県を巡って ~

2016年08月

福島県の歴史 4

福祉目検の歴史を載せて4回目になりますが、今回は
❝ 豊臣政権と徳川幕府時代 ❞になります
大詰めになってきました

豊臣秀吉による奥州仕置により伊達 政宗が伊達氏の元の
本領以外没収され、会津に蒲生 氏郷が入ります
翌年の葛西大崎一揆の戦後処理で伊達 政宗が岩出山に
移封されると、蒲生 氏郷が福島県中通り以西のほとんどの
地域と山形県の置賜地方を領有しました
なお、葛西大崎一揆の原因を作ったとして、領有を奪われた
岩出山の旧領主の木村 吉清は、後に許されて蒲生 氏郷に
仕えて杉目城主となります

木村 吉清は杉目を" 福島 "と改称し、今日の県名の由来になっています

関ヶ原の戦いによって上杉 勝景は信夫郡・伊達郡を除く
福島県域の所有を失い30万石になってしまいます

代わって会津には蒲生 秀行が再度入封し、会津藩60万石が
成立しますが2代目の蒲生 忠郷が早世し、伊予松山藩に移ることになります
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次に1627年に加藤 嘉明が40万石で
会津に入封しますが、これも2代目の
加藤 明成で会津騒動を起こして領地を
徳川幕府に返上しました

                                                   鶴ヶ城( 若松城 )
                                     
そして、1643年に松平氏・保科 正之が23万石で入封し
この松平氏会津藩が戊辰戦争まで続くこととなります

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福島県の歴史 3

❝ 鎌倉時代から戦国時代まで ❞

中世においては、源 頼朝が鎌倉に幕府を開府し東国において
自立しますが、源 頼朝は東北において奥州征伐により
奥州 藤原氏を滅ぼします

県域においては信夫 佐藤氏が信夫荘(信夫郡以北、松川以北)に
押し込められると、鎌倉による論功行賞で福島県内は伊達氏
相馬氏、二階堂氏、蘆名氏、畠山氏、結城氏など多数の
関東武士団に細分化されました

南北朝の動乱においては、結城氏の一族である白河 結城氏が
台頭し、白河 結城氏をを主力とする南朝側が大いに優勢と
なりましたが、しばらくすると相馬氏など北朝側が盛り返し
白河 結城氏など多くの諸氏は、奥州管領や鎌倉公方の
支配を受けるようになります

戦国時代に北関東・東北においては、一国以上の領国を持つ
戦国大名は少なく、中小の地域が分立する傾向をもって
いましたが、伊達氏は伊達 稙宗が南奥羽で外征や婚姻外交を
繰り返し、南奥羽のほとんどの大名が勢力下に入りますが
天文の乱を起こし衰退したり、白河 結城氏が衰退し
変わって岩城氏が盛り返すなど、栄枯盛衰は止むことはなく
隣接する常陸国 佐竹氏や越後国 上杉氏の影響も受ける
ようになりますが、最終的には蘆名氏や相馬氏、二本松氏などを
圧倒した伊達氏の伊達 政宗が短期間ではありますが
福島県域の浜通りを除く大半を領有することになります

相馬野馬追は、相馬市の遠祖・平 将門が領内の下総国相馬郡
小金原( 現・流山から松戸に広がる地域 )に野生馬を放し
敵兵に見立てて軍事訓練をしたことに始まるといわれています
1000年以上の歴史を持つ神事です
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伊達 政宗が福島県まで勢力を伸ばしているとは
全く知りませんでしたし、盛り上がったり衰えたりを
繰り返して福島が成立してくるのが分かります

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いかにんじん

福島県の歴史は、まだ続くんですがここでちょっと息抜きを
記事のタイトルを見て" ??? "となった方も
いらっしゃると思うんですが" いかにんじん "は福島県の
郷土料理なんです

今では、全国に知られるようになったかな
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スルメとニンジンを細切りにし醤油、日本酒、みりんなどで味付けをします
各家庭で晩秋から冬にかけて作られ、おつまみ、おかずとして親しまれています
" いかにんじん "は、家庭ごとに作り方も味も異なります

材料は、近年は松前漬けの影響を受け昆布や数の子を
入れる場合もありますが、伝統的にはニンジンとスルメだけになります

松前漬けと異なり、昆布のぬめりがなくニンジンの食感が
楽しめるサラダ感覚の漬物です

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福島県の歴史 2

福島県の歴史-第2弾です

❝ 古 代 ❞
5世紀にはすでに北関東・東北の一部までが大和主権の影響下に
あったと思われ、福島県域においても各国に国造が成立しました

当時、大和朝廷の勢力圏は福島県が北限であり、蝦夷勢力圏との
境界に当たる信夫国( 福島盆地 )などの国には防備の任もありました
また、関東や近畿地方などから盛んに開拓のための移民も行われています

その後、国は評( こおり )と呼び名が変わり、陸奥国に再編されます
また、大和朝廷の勢力圏も宮城県域、あるいはさらに北に拡大し
信夫評( しのぶこおり )も北端ではなくなりました

701年( 大宝元年 )の大宝律令の施行時には、陸奥国となり
" 評 "は" 郡 "、" 評司(国造) "は" 郡司 "になりました
拡大した陸奥国から718年( 養老2年 )に" 石城国( いわきこく ) "と
" 石背国( いわせのくに ) "が分置されました 
❄ 石城国:菊多郡・石城郡・標葉郡(しるは)・行方郡(なめかた)・宇太郡・曰理郡(わたり)の6郡
❄ 石背国:信夫郡・安積郡・石背郡・白河郡・会津軍の5郡
現福島県域は石城国または石背国に属することとなり
陸奥国の領域ではなくなりました

分置後も蝦夷との戦いが続き、東北全体( 東北・出羽 )で戦う
必要性が起こってきたので、724年( 神亀元年 )までには
石城国と石背国は再び陸奥国に合併されます
これらは郡はその後、人口増加などによりさらに再分割されます

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福島県の歴史 1

福島県の歴史を掲載していきます
何回かに分けて載せていきますので
興味のある方は、ご覧ください

先史 ⇐ ここから?・・・せっかくなので
笹山原遺跡
福島県を含む北関東・東北地方における
人の足跡は、後期旧石器時代に始まります
県域における遺跡としては平林遺跡
( 桑折町 )や会津若松湊の笹山原遺跡群が
あります




この遺跡から旧石器時代に人が製作し使用したと
みられる石器群が発見されています
年代は2万2000年前の姶良Tn火山灰よりも下から出土していることから
後期旧石器時代前半に属するようです
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少したって約1万5000年前の塩坪遺跡( 喜多方市高郷町 )から
熱を受けた139個のこぶし大の石がまとまって発見されました
この時代は、まだ土器がなく焼石は食材を直接加熱するのに
使用されたのであろう とのこと

縄文時代・弥生時代を経て古墳時代に入りますが
福島県は大型の古墳が少ない東北地方にあって
大安場古墳( 郡山市・前方後方墳 全長83m )
大安場
会津大塚山古墳
( 会津若松市・前方後円墳 全長114m 4世紀後半 東北最古級
割竹形木棺検出 三角縁神獣鏡出土 )
亀ケ森 鎮守森古墳( 会津坂下町 前方後円墳 全長127m )
などの大型の古墳が集積しています

古墳時代、畿内に前方後円墳が登場するのとほぼ同時期に
会津地方でも前方後円墳が作られ始めており、すでに
大和朝廷の影響下にあったことが窺えます

古墳時代中期以降は、会津地方の古墳造営が減少し
変わって県南地方で盛んに古墳が作られました
県南地方の前方後円墳は隣接する那須地方( 那須国造 )から
連続しており、那須地方から県内地方一帯は、古墳街道とも
いうべき古墳集積地帯ともなっています

福島県にこんなににもたくさん" 古墳 "があるとは知りませんでした
echoesから近いところだと" 大安場古墳 "がありますが
一般の方も見学できますので機会があれば是非!!

ちなみにechoesはまだ行っていません
でも、一度は見に行ってもいいかな? 近いし・・・

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