随分とお久しぶりの" 安積開拓 "の記事になります
もともと、この" 福島 "のブログを始めたきっかけがこの" 安積開拓 "で
去年、日本遺産に認定されています

突然" 安積開拓に・・・ "なんで戸惑う方もいると思いますが、サイドバーに
過去記事のリンクを作りましたので興味のある方は、覗いてくださいな
簡単に説明すると、echoesの住んでいる" 郡山市 "は
こんな風に開拓されて発展しましたという内容です( 田舎ですけどね

興味ない方はスルーで構いませんよー" ファン・ドールン "とかから
スタートなので・・・( 時間置き過ぎたわ・・・


ファン・ドールンは、オランダの技術者で、明治5年に来日し土木寮の
長工師として最高位の職にあった人物です
明治政府は、安積疎水のコースとして" 沼上峠案 "をファン・ドールンに
検討させました
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コルネリス・ヨハネス・ファン・ドールン

明治11年11月、沼上峠のコースを調査したファン・ドールンは、沼上峠の
コースを" 天を与えるところ "と高く評価し、湖水( 猪苗代湖 )の水位を
変更することなく、安積地方に水を引くことができることを学術的
計算から立証しました
これによって、政府は疎水のコースを沼上峠と決定しました
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戸の口十六橋の畔で猪苗代湖を見下ろし、はるか安積平野までも
見いつめているかのように佇むファン・ドールンの像

一方で、猪苗代湖から水を引くことは、地元の人々の間でも前々から
考えられていました
なかでも、小林久敬は幕末から疎水開削を提唱し、自ら測量するなど
全財産を投じて" 斉木峠案 "を主張し、沼上峠コースが決定すると
これに反対し、東京にまで移り住んでまで政府に陳情などをしました
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猪苗代湖の疎水に生涯をかけた" 小林久敬 "

全財産を投じ、無一文になっても猪苗代湖からの疎水に生涯をかけた
小林久敬は、疎水完成を目の当たりにし" あらたのし 田毎にうつる
つきの影 "という感慨の句を残しました
この句碑は郡山市の荒池公園の畔の愛宕神社に今も残っています
201208
郡山市の荒池公園南側にある小林久敬の顕彰碑と句碑