本日は、福島県郡山市西田町の" 高柴デコ屋敷 "をご紹介
なぜ、ここをご紹介するかというと・・・それは後ほどで

❄ 張子の里" 高柴デコ屋敷 " ❄
デコ屋敷は" 三春駒 " " 三春張子 "など三春の民芸品すべての発祥地
( デコは木彫りの人形のことで木偶( デク )の別な読み方 )
" 三春駒 "は日本で最初の年賀切手に採用された名実ともに
日本一の郷土玩具です
その" 三春駒 "を制作したのは彦治民芸の9代目当主・橋本彦治です
高柴デコ屋敷
∂ 彦治民芸 ∂
現在は郡山市ですが、江戸時代は三春藩領の高柴村であったため
昭和初期になり" 三春駒 " " 三春人形 "という名が付けられました
( 明治以降、三春とは別れている )
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∂ 三 春 駒 ∂
発祥地で戦後以降、ただ1軒木彫りから作り続けているのは
" 彦治民芸 "だけなので、本物の三春ゴマは彦治民芸でしか
購入できません

" 黒駒 "は「 子宝・安産・子育て 」のお守り
" 白駒 "は「 老後安泰・長寿 」のお守りになります

∂ 三春駒の伝説( 高柴子育木馬 ) ∂
延暦14年(795年)坂上田村麻呂が大多鬼根山の石の洞窟に住む大多鬼丸という賊の征伐に
京都を出発した時、清水寺の開祖と言われる僧延鎮が、5体の仏像を刻んだ材で鞍馬百疋
(ひき)を刻み、田村麻呂将軍に贈った(100匹の木馬を作りお守りとして贈った) 将軍はこれを
鎧櫃(よろいびつ)におさめて蝦夷の途に上り、やがて戦が開始されたが、官兵は京都よりの
遠路に疲れていたので苦戦だった その時どこからか鞍馬百疋が官兵の陣営に走り込んで
来たので兵たちはその馬に乗って大多鬼根山へ攻め上り、ようやく大多鬼丸を滅ぼすことが
できた ところがその後、鞍馬百疋の行方が分からなくなってしまった

翌日、一疋の木馬が三春近くの高柴村で汗にまみれているのを里の" 杵阿弥 "という物が拾い
これは延鎮の作の百疋の木馬の一つであると聞き99疋を自分で補っておいた
3年後には、この拾った一疋も行方がわからなくなったので、99疋を杵阿弥の子孫はこの駒を
模作して里の子に与えたところ、これで遊ぶ子は健らかに育ち、子のない者も3粒の大豆を
飼葉として木馬に与えると子宝に恵まれると言われ、また、疱瘡(ほうそう)・麻疹も軽くなる
といって、誰ということなく" 高柴子育て木馬 "と名付けられた

・・・そうです
工房では絵付け体験などもでき、多くの観光客が訪れています

❄ 高柴デコ屋敷伝統" ひょっとこ踊り " ❄

なぜ、" ひょっとこ踊り "か・・・6月24日(土)" 割烹 大雅 "50周年の
イベントが予定通り行われました

残念ながらブログの載せる写真は、ごじゃりません
受付終了して金額合わせ、無事に合って" ホッ "もつかの間、すぐに宴会に混ざれとな
混ざれば混ざるで、お客さんの飲み物作ったり、お礼を言って回ったりと落ち着かない
「 写真撮っておいて 」と渡されたのは" 写ルンです "・・・この時代にアナログな
で、" ひょっとこ踊り "やるのは聞いてました・・・始まって写真撮って" ようやく "と
思ったら背後に殺気を・・・有無を言わず" お面 "を付けられ、まさかの強制" ひょっとこ踊り "

出された料理は、ほとんど食べることができず( 意外に豪華でした )宴会終了・・・
その後、2次会強制参加( もう強制が多い )・・・終わって部屋に戻るころには" 日本酒牛乳 "
ベロンベロン・・・やっと寝たと思ったら、ブツブツ独り言 ↫ 黙って寝ろ―っ!
挙句に朝方3:30に" オメ誰だ "って起こされる始末・・・
でもって昨日は1日、二日酔い・・・散々なイベントだった・・・orz

無題-crop
" ひょっとこ踊り "は郡山市指定重要無形民俗文化財である高柴
デコ屋敷の高柴七福神踊りの中の踊りであり、江戸時代から伝わる
伝統芸能です
口のない" ひょっとこ半面 "はデコ屋敷独特の張子面
踊ると息苦しくなるので鼻に穴が開いています
お面の裏側には、汗で色落ちしないように色止めが塗ってある
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echoesではないですよ・・・


ひょっとこ踊り・・・こんな有名だとは知らなかった

写真が出来上がって、載せられるようでしたらアップしまーす

では、この辺で