20100418花見山公園全景
花見山公園は福島県福島市にある花卉農家の私有地の名称
中心市街地から見て南東、阿武隈川右岸の渡利地区の
丘陵地中腹に位置します
所有者が公園として市民に無料で開放しており
特に春の花見シーズンには、多くの観光客を集めています

花見山周辺の農家も花卉農家を行っており、地区一帯で
花が咲くため" 花見山 "は地区全体の総称としても使用されています
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福島盆地の東縁を形成する阿武隈高地に、阿武隈川支流の
くるみ川が形成した小規模な谷底平野があり、くるみ川本流と
その支流の鈴ヶ入川に挟まれて樹枝状丘陵が張り出している
その丘陵の先端部の標高約110mから約180mに当園は位置します

集落がある谷底平野に立つと、くるみ川流出部の殿上山
( 春日山 )も含め周囲はぐるりと丘陵に囲まれ、その至る所で
花卉園芸が営まれている
春には、切り花出荷用の東海桜をはじめ、梅・桃・
ソメイヨシノ・レンギョウ・ボケ・サンシュユ・モクレン
そしてツバキ等が当園のみならず地区一帯に咲きます
そのさまを写真家の秋山庄太郎は" 福島に桃源郷あり "と形容し
毎年訪れたそうです
春以外ではロウバイも冬季に見頃を迎えます

観光客増加により、4月上旬から下旬まで一般車両の
進入規制が行われるようになり、一般車両駐車場とを
結ぶシャトルバスのバス停および観光バス駐車場が
設置されました
観光バス駐車場周辺にはシーズン中に出店も設置しています
観光バス駐車場と当園の間は約800m( 徒歩10分 )あり
ウォーキングトレイル事業によって地区内に遊歩道が
整備され、地区内を流れる川の護岸工事も行われました

「 歴史 」
❆ 養蚕・林業 → 園芸 → 畑作 ❆
江戸時代から信達地方( 福島盆地 )は国内有数の養蚕地であり
現在の花見山公園を所有する" 阿部家 "も養蚕を家業とし
また、山から切り出した木材の販売もしていたそうです
1929年に世界恐慌が始まると1930年(昭和5年)1月の
金解禁により日本にもその影響が及んで、生糸の輸出減少と
デフレから生糸の価格が暴落し、昭和恐慌が始まりました
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阿部家でも、養蚕での収入減に加えて恐慌による親戚の
事業失敗もあり、家と山を手放さざるを得なくなりました

一方、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の
復興過程で、大日本園芸組合が1924年(大正13年)
東京府東京市京橋区(現・中央区)の西銀座に開設した
日本初の花卉市場である" 高級園芸市場 "が生産者の好評を
博したため、日本各地に花卉市場が開設されるようになり
福島にも" 福嶋生花組合市場 "が開場しました
また、華道界では1930年(昭和5年)に重森三玲
勅使河原蒼風らが" 新興いけばな宣言 "を起草し
自由花運動が展開されていきました

少しずつ山を買い戻していた阿部家は、このような背景の
中で山に自生している花を採って販売するようになり
生け花用の切り花が好調な売れ行きに生計が支えられるようになる
すると阿部家は花の栽培にも乗り出し、鍬1本で山を
開墾しながら作付けを広げていった

1937年(昭和12年)に日中戦争がはじまると、阿部家の
男子も徴兵されて戦地に赴き労働力が奪われました
食糧事情が特に悪化した太平洋戦争中には、不要不急の
作物である花を栽培すると" 非国民 "扱いされるため
統制経済下で麦・豆・芋などを作って供出するようになりました

❆ 園芸再開 → 観光地化 ❆
1945年(昭和20年)8月15日の終戦により、阿部家は
開墾と花木栽培を再開しました
1950年代後半になると開花期には山が一面の花で埋まる
ようになり、観光客が集まり始めました
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花卉栽培の作業をしながら観光客の相手までする余裕が
なかったこともありますが、戦場で多数の悲惨な死を
見てきた阿部家の主は戦争で苦しんだ人たちを元気づけたい
との思いもあり" 花見山公園 "と名付けて1959年(昭和34年)
4月に無料開放しました
また、観光客のためにトイレを設置し、東屋・展望台
灯篭などの施設も自己資金で建設、観光客に貸し出す
杖や傘も揃えていきました

1975年(昭和50年)頃、自身が審査員を務めた写真賞の
出品作品で当園を知った写真家・秋山庄太郎が初めて
花見山公園を訪れます
秋山庄太郎は山形県米沢市の別荘と東京都の間にある
当園を度々訪れるようになり" 福島に桃源郷あり "と
形容して展覧会や講演会で当園を紹介し
当園の全国的な知名度向上に寄与しました
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「 ウォーキング・トレイル事業 」

その一方、花見シーズンに入ると観光客やカメラマンが
多く集まり、道幅が狭い地区内および周辺は渋滞に
悩まされるようになりました
そのため地区の住民らが周辺維持管理委員会を設立し
渋滞対策をしてきました
また、1996年(平成8年)より建設省(現・国交省)の
補助事業" ウォーキング・トレイル事業 "が始まり
当園周辺では遊歩道などの整備による歩車分離が進められました
2004年(平成16年)には当園のシーズン入園者数が20万人を
突破したため、同委員会・福島観光協会・福島市物産振興協会に
よって「 花見山環境整備協議会 」が設立され、観光や
地域振興の環境整備にあたるようになり、2006年(平成18年)
12月から花見山公園周辺環境整備事業が始まりました
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「 ふくしま市景観100選 」

2007年(平成19年)福島市の市制100周年を記念して
" ふくしま市景観100選 "に選定され
" 1.花見山から見た吾妻連峰 "
" 2.花見山から見た信夫山と市街地 "( 写真 )
" 3.花見山の色とりどりの花木 "と
当園一帯は100選中3つの景観に選ばれました
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❆ 私有地 ❆
1959年(昭和34年)4月、土地の所有者である
阿部一郎氏が" 花見山公園 "と命名し善意により
無料開放を始めました
観光地化した現在も私有地であるため、花見でよく見る
" 宴会 "は禁止されています
花見山公園周辺の花木も私有地に咲いていることが
ほとんどだそうです
このような立地条件であるため、ウォーキング型の
花見をする観光地になっています
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